SHIN@25歳ミニマリスト

ミニマリスト、筋トレ・ダイエットについて発信します!

救急車を呼ぶことをためらった私

先日、歩道でうずくまっている少年を見かけた。

自転車が倒れていたため、転んだことが分かった。

 

擦り傷が痛いのか少年は腕を抑えながら泣いていた。

「大丈夫?どこが痛い?傷が痛い?」と少年に聞く私。

「痛い」と泣きながら手を抑える少年。

「家は近い?」

「近い」と少年。

 

お母さんの連絡先を教えてもらい、連絡することに。

段差で転んでしまったこと。

擦り傷があること。

状況を説明した。

 

すぐに向かうとのことだったのでお母さんを待つことに。

しかし、少年はずっと痛いと泣きながら手を抑えている。

ここで初めて「擦り傷以外で痛いのでは?」と疑問がわいた。

「傷以外に痛いところある?」

「手が痛い」

もしかしたら骨折しているかもしれない。

ずっとうずくまった状態で動けない少年。

この時、慌てて199番へ連絡。

 

お母さんが到着し、199番へ連絡した旨を伝える。

その後すぐに救急隊が到着した。

 

後日、お母さんより連絡をいただき少年の状態を聞くことができた。

幸い、命に別状はなく骨折にも至っていなかったようだ。

 

私はお母さんに謝罪した。

救急車を呼ぶタイミングが遅くなってしまったこと。

少年の話をしっかり聞けてあげれなかったこと。

もし命に関わる状態だった場合、多大なるご迷惑を私はかけるところだった。

 

 

今回、私は大失敗をした。

救急車を呼ぶ必要はない。と自分の頭で決めつけていた。

自己判断せず、まずは救急隊に連絡をすべきであった。

 

今後このような場面に遭遇した際は、第一に救急隊への連絡が必要である。

 

 

 

毎日100%の力を出し切る

毎日全力で生きる。

「もう無理、すべて出し切った!」

そう言えるくらい1日を全力で生きることが大切だと思う。

 

「明日に備えて今日は体力を温存しよう」

それって今を全力で生きてない。

そもそも明日が来るか今の時点では分からない。

 

経験や知性が身につけば身につくほど、先読みしてしまいがち。

子供の頃は毎日を全力で生きていた。

公園を走り回り、家に帰った途端すぐ眠りにつく。

 

「明日に備えて今日は遊びすぎないようにしよう」

そんなこと考えてなかった。

とにかく今を全力で楽しんでいた。

 

大人になるにつれて、先を見て今を判断する機会が増えてしまった。

今を本気で生きれてないし、自分で自分の限界を決めてしまっている。

 

明日が来るか分からない。

だから今に集中して全力を尽くそう。

 

 

海沿いの散歩が1日の始まり ~25歳一人暮らし @富山県~

なにごとも「”始まり”と”終わり”は大切」

プレゼンテーション。

スポーツの試合。

人間関係。

すべてに当てはまること。

 

何気ない日常にも同じことが言える。

1日の始まりがいいと「今日もいいスタートを切れた!」と思える。

終わりがいいと「今日も良い1日だった!」と満足して眠りにつくことができる。

 

富山県で生活を始めて、特に始まりと終わりの大切さを痛感している。

私は毎朝海沿いを散歩する。

家から3分ほどで海に着くため、毎朝海へ足を運ぶ。

1日のはじめに自然に触れることで気分が晴れ、朝散歩は最高のスターターだ。

 

最高の1日の始め方。

それは、自分が最もワクワクする予定を朝一にいれること。

 

愛犬と散歩する。

読書をする。

ヨガを楽しむ。

コーヒーを飲む。

 

気分が晴れる予定を朝一にいれることで何気ない日常がぱっと華やぐ。

 



自然に癒される毎日 ~25歳一人暮らし @富山県~

東京から富山へ戻ってきた。

東京への帰省は楽しかった。

しかし、どこか疲れを感じてしまった。

 

東京での生活において、不便さを感じることはない。

しかし、どこへ行っても人が多い。

喧騒とした雰囲気。

どうも疲れを感じてしまう。

 

富山に戻ってきて、心が落ち着いた感覚がある。

自然豊かで空気が澄んでいる。

一気にストレスから解放された感じ。

「やっぱり自分に合っているのは自然に囲まれた生活なんだ」と気付かされた。

 

朝散歩していると通りすがりのおじいさんから「おはよう」と挨拶される街。

コンビニのおばちゃん店員に「そのバッグいいね!どこで買ったの?」と声をかけられる街。

「若い人が富山に来てくれて嬉しいわ」とスーパーのおばちゃんから声をかけられる街。

 

こんな素敵な街が大好き!!

 

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東京と富山。それぞれの良さがある。

先日、富山から東京に1週間ほど帰省した。

自然豊かな街に慣れてしまったため、東京駅に着いた際人の多さに驚いた。

東京で暮らしていた時は、人の多さなど全く気にならなかったのに...

 

街の人の歩くスピードも東京の人は速い。

富山県と異なる点が多く、呆気にとられた。

 

JRでは2,3分おきに電車が来る。

「こんなに頻繁に電車きてたっけ!?」と思うくらい。

富山の電車は1時間に1本が普通。

バスも1時間に1本程度。

 

東京で生活していると不便に感じることは何一つない。

必要なモノはすぐに手に入る。

食事を用意するのが面倒だと感じればデリバリーを頼むことができる。

 

私が生活している富山の街ではデリバリーサービスがない。

病院も少ない。

スーパーも東京と比べると明らかに少ない。

 

しかし、富山では落ち着いて自分のペースで生活することができる。

自然豊かな環境でストレスは限りなく0に近い。

 

都会と田舎。それぞれの良さがあると感じた。

自分に合う環境は十人十色。

実際に生活してみて初めて自分の価値観に気付くこともある。

 

私は富山で生活をはじめてから、自分のペースでストレスなく生活できる環境が合っていることに気付いた。

周りと比べることもなく、マイペースで。

疲れを感じたら外に出て自然に触れる。

海を見ながら、ひたすらボーっとする。

そんな時間が好き。

 

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富山県は魅力だらけ

日を追うごとに富山県の魅力が増していく。

富山に来てよかったと感じる毎日。

 

昨日の朝、海沿いを散歩していた時のこと。

3人のご高齢の方とすれ違った。

お三方とも「おはよう」「ご苦労さん」と挨拶を交わしてくれた。

もちろん面識はない。

こんな25歳の若造に優しく挨拶を交わしてくれたことが嬉しかった。

 

私が住んでいる地域は富山県の中でも人口が少ない。

そのため、住民同士の繋がりが濃いのだろう。

市営のスポーツジムでも利用者同士でよく会話をしている。

みんな顔見知りの様子。

 

コロナをきっかけに人の繋がりの重要性に気付いた。

やはり、人と接することは大切。

挨拶ひとつで気持ちがよくなる。

 

海 に対する画像結果

カーテンを手放した

富山県への引越しをきっかけにカーテンを手放した。

以前はカーテン=必需品という固定概念があった。

しかし、必ずしも必要ではなかった。

 

富山県であるということ。

窓が人がほとんど通らない道に面していること。

窓が平地に面していること。

 

いくつかの条件が重なり、カーテンが必要でないことに気付いた。

カーテンがないことによる不便さは今のところ感じていない。

むしろ、メリットを感じている。

 

①朝日で目覚めることができる

寝室の東向きの窓から日が差し込む。

目覚まし時計をセットしなくても自然と目が覚める。

大体6時頃寝室に日が差し込むため、早起きが習慣化された。

 

②カーテンの開け閉めがない

カーテンのある生活をしていた時は、カーテンの開け閉めという動作があった。

しかし、今はその動作がない。

非常に小さなことだが日常から不要な動作が1つ減るとかなり楽に感じる。

 

 

手放して初めて実は必要じゃなかったことに気付く。

思い切って手放してみることで新しい気付きがある。

 

人間って今あるモノで工夫して生きようとする生き物。

 

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