言葉の暴力は容認されるのか
ウィル・スミスさんの平手打ちが話題になっている。
後に本人は謝罪した。
たしかに暴力をふるったことは容認されることではない。
わたしの行動は受け入れがたいものであり、許しがたいものでした。妻の病状に関するジョークは、わたしには耐えがたく、感情的に反応してしまいました。公に謝罪したいと思います。クリス、わたしは言い過ぎましたし、間違っていました
引用:ウィル・スミスさん SNSで男性に謝罪 アカデミー賞授賞式“平手打ち” (fnn.jp)
本人が言うとおり、受け入れがたく許しがたいもの。
一方で司会者の言動はどうだろうか。
司会者本人は、ジョークだと笑いながら述べた。
しかし、ジョークの対象となったウィル・スミスさんの奥さんとウィル・スミスさんはジョークとして受け取れなかっただろう。
特に奥さんの表情は曇っていた。
周りは笑っていたが、本人はジョークとして受け取れていない様子だった。
私は、司会者の言葉が鋭いナイフのように感じた。
物理的な暴力ではない。
しかし、言葉の暴力としてウィル・スミスさんらを傷つけた。
注目が集まるのはウィル・スミスさんの平手打ち。
司会者の言葉の暴力は容認されるのか?
ウィル・スミスさんが平手打ちしたあと、司会者は薄笑いを浮かべていた。
心から反省していればその場で謝罪の言葉が出ただろう。
言葉は、他人を傷つける凶器に変身することもある。
その傷がその人の人生につきまとう可能性もある。
受け取り方は人それぞれ。
だからこそ慎重な言葉選びをする必要がある。